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高原でお花見
風雅を発信するところ。(自由に詠める)連歌のブログ。Izaから引っ越してきました。参加自由。

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花の守人招きの助

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寒満月(新装開店)
 
 
 
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 (五条の橋寒満月昇る、渡り初め、新たな旅立ち)
 
 

新装開店の挨拶

 連歌(や俳諧の連歌)は一巻づつ発句から始めて……という形式を取るのであるが、「連歌」という名の通り平安時代から流れて来て、それに添い繋がりつつ詠んでいると考えられなくもない。俯瞰すれば別々に見える様々な場所・時代で編まれた膨大な「巻」どうしも連なっているという分けだ。
 連歌には生臭さのある近代以降の主体を重んじる短歌、俳句の詠み振りからは隔たりがある。(今日的に云えば)自我自縛(我欲)のリセット・開放も意味する。自己表現に付き纏う(外科医の如き)生臭さは(例えば)お酒で拭う必要があろう。がしかし連歌には不要だ。「我」(自己主張)を離れ、「流れ」に添いつつ(新たな支流に)分岐してゆくことが連歌を連歌たらんとしている、のだから。匿名ではないけれど実在の自分を詠む(顕示)べきという束縛もない。誰でもないから詠むことで何者にでもなれる、複数の(多様な)自己の発現も可能。フィクション性は小説に近い。
 連歌と連句(俳諧の連歌)に名前ほどの断絶はない。連句は連歌を残しつつ範囲を拡大した(高貴な風雅以外も取り入れ、紋切り型から脱しようとした)ものだから、高貴な風雅を切り捨てたのではない。題材の要素が天文学的に増えたのだ。時代とともに当然今も拡大され進化しつつある。
(強いてこの場<連座>を形容するとしたらルールも殆ど無く迷い道が頻繁な「徘徊の連歌」だろうか……管理人)




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